【月一小話 植物の小ネタ バックナンバー】

2020年12月

*植物が選んで創る「有機物」

 

化学合成の概念を最初に日本に導入したのは、明治2年(1986年)に大阪に開設された理化学校、舎密局(せいみょく)の教頭K.W.Gratamaではないかと言われています。彼は、当時貴重薬であったキニーネが、将来化学合成によって容易に得ることも夢ではないと述べました。そして、キニンの全合成が完成するのは76年後の1945年、のR.B. Woodwardによってなされました。その頃には人類は様々なものを化学合成で作り出し、世界を発展させます。例えばハーバーボッシュ法によるアンモニアが肥料として食料生産性を高め(F. Haber, 1918年にノーベル賞)、ペニシリンが感染症を減らしました(J. C. Sheehan,1957)。しかし、現代でも効率よく合成できない物質が沢山あることをご存知でしょうか?

 

効率よく合成できない理由の1つは「鏡像異性体」の存在です。有機物を化学合成すると、炭素原子がもつ4つの手に異なる置換基が結合する場合があります(この炭素を不斉中心と呼びます)。4つの置換基の順番が決まっているとき、炭素を中心として時計回り、反時計回りで2パターンの構造をとります。これは鏡に写したときの関係になることから「鏡像異性体」と呼ばれます。鏡像異性体は、物理的性質の違い旋光性の違い(円偏光が物質を通り抜ける速さの差)のみですが、生体に入り,酵素や受容体などに接した際には、大きな違いになります。生体内はほぼL-アミノ酸(反時計回りの分子)で構成されているので、相互作用に差が生じてしまい、味や香りの違い、医薬作用の強弱、副作用の有無など,様々な影響が出てきます。人工合成の場合、鏡像異性体が等量含まれる状態(ラセミ体)で合成されますが、ラセミ体を分離したり、機能がある側だけが得られるように合成すると採算が合わないケースが依然として存在しているのです。

 

このような物質を生産する際は、現在も人工合成ではなく生物が作ったものを抽出しています。例えば、トウシキミの果実から抽出される「シキミ酸」は抗インフルエンザ薬(タミフル)の重要な原材料ですが、人工合成ではラセミ体として合成されてしまい、実用的では有りません。市場にあるシキミ酸はほとんどが植物体から抽出されたものとなっています。「ヘテロヨヒンビン」という理論上16種の鏡像異性体考えられる物質は、鏡像異性体毎に効果が異なり、高血圧治療など様々な治療に用いられています。一方で天然物では8種類の鏡像異性体しか報告されておらず、植物が選択的に物質を合成している実例となっています。この作り分けは酵素で厳密に制御されており、有用物質であるヘテロヨヒンビンの人工合成にむけた研究が進んでいるようです。

 

前述したシキミ酸は、ほとんどが植物由来であり、80~90%%が中国産のため入手経路が限定的です。現在も猛威を振るうコロナウイルスへの効果は期待できないようですが、今後も新たなウイルスが蔓延して、タミフルの出番が再度訪れないとも限りません。国内ではシキミ産の国産化を目指す動きもがありますが、菌類に作らせる方法など生体内合成が基本です。私達は人類だけでは合成できない物質の恩恵を今でも受けて、これからも助けてもらう必要がありそうです。

 

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